夜のプロヴァンスの田舎道

展示構成

3

ファン・ゴッホを収集する

ヘレーネ・クレラ―=ミュラーは積極的にファン・ゴッホの作品を集めた世界最大の収集家です。そのコレクションは、ファン・ゴッホの画業をほぼ網羅しています。ここでは時代ごとにゴッホの作品を紹介します。

3-1

素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代

1880年8月、ファン・ゴッホは画家となる決意をしました。画家になるため、まずジャン=フランソワ・ミレーなどの版画作品や教本の素描見本の模写を始めます。人物画家を目指し、1881年4月にエッテンへ移ると、農作業や手仕事をする人物を描き始めます。同年12月から暮らしたバーグでは、都市風景のほか、生活をともにしたシーン・ホールニクや近くの療養院の男女をモデルに人物素描に注力しました。

スヘーフェニゲンの魚干し小屋

スヘーフェニゲンの魚干し小屋

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1882年5月後半 鉛筆・ペンと筆による黒インク(所々茶色に褪色)・白の不透明水彩・升目状の跡、簀の目紙
  • クレラー=ミュラー美術館
砂地の木の根

砂地の木の根

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1882年4-5月 鉛筆・黒チョーク・茶色と灰色の淡彩・不透明水彩、水彩紙
  • クレラー=ミュラー美術館
3-2

画家ファン・ゴッホ、オランダ時代

素描で画家になる訓練を重ねたのち、1883年12月に移り住んだニューネンの地で本格的に油彩画に着手します。ファン・ゴッホが手本としたのはバルビゾン派やハーグ派の画家で、彼らに倣って暗い色調を用いて制作が行われました。

森のはずれ

森のはずれ

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1883年8–9月 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館
麦わら帽子のある静

麦わら帽子のある静物

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1881年11月後半–12月半ば 油彩、カンヴァスに貼った紙
  • クレラー=ミュラー美術館
白い帽子を被った女の顔

白い帽子を被った女の顔

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1884年11月–1885年5月 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館
3-3

画家ファン・ゴッホ、フランス時代

3-3-1 パリ

1886年2月28日頃、ファン・ゴッホはパリに到着し、画商として働く弟テオと暮らし始めます。パリに暮らす若い前衛芸術家たちと付き合うようになり、また印象派や新印象派の作品、浮世絵版画、アドルフ・モンティセリの絵画などと出会います。ファン・ゴッホは自らの描き方が時代遅れであることに気づき、新しい表現を試みていきます。
約2年ですっかり表現を刷新し、力強く現代的な独自の様式を発展させ、限られた仲間内ではありますが前衛画家として認められるようになりました。

レストランの内部

レストランの内部

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1887年夏 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館
石膏像のある静物

石膏像のある静物

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1887年後半 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館

3-3-2 アルル

画家としての自信を深めたファン・ゴッホは、南仏に赴き、1888年2月20日アルルに居を定めました。真の現代の芸術家は卓越した色彩画家だと考えたファン・ゴッホは、特に南仏の明るい空の青と、燃えるように鮮やかな太陽の色彩である黄色の組み合わせに熱心に取り組みます。10月にはアルルにポール・ゴーガンが合流し、影響を与え合いながら制作を行いましたが、二人の関係はこじれ、共同生活は2か月で終わりを迎えます。

糸杉に囲まれた果樹園

糸杉に囲まれた果樹園

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1888年4月 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館
レモンの籠と瓶

レモンの籠と瓶

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1888年5月 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館
種まく人

種まく人

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1888年6月17-28日頃 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館

3-3-3 サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ

ファン・ゴッホは、1888年12月に最初の病気の発作に襲われたのち、さらなる治療が必要と判断し、1889年5月にアルルを離れる決意をし、サン=レミ郊外にある療養院に自ら入院しました。体調が許せば、花が咲き誇る療養院の庭や周囲の田園風景を前に制作を行いました。色調はアルルの頃より抑えられ、糸杉やオリーヴ園などプロヴァンスの典型的なモティーフに取り組むようになります。1890年5月16日、彼は療養院を後にし、北仏のオーヴェール=シュル=オワーズに移り住みました。サン=レミ時代よりも強い色彩を採用し様式的な筆触を抑え、より自由な筆遣いをするようになりました。しかし、7月27日に自らを撃ち、2日後に弟テオに看取られながらこの世を去りました。

サン=レミの療養院の庭

サン=レミの療養院の庭

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1889年5月 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館
悲しむ老人(「永遠の門にて」)

悲しむ老人(「永遠の門にて」)

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1890年5月 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館
夜のプロヴァンスの田舎道

夜のプロヴァンスの田舎道

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1890年5月12-15日頃 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館
花咲くマロニエの木

花咲くマロニエの木

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • 1890年5月22–23日 油彩、カンヴァス
  • クレラー=ミュラー美術館